2018.6.8

信じたことはない。他人の占いも自分の決めごとも。

 

毎日、丸のてっぺんにいる感じ。

星の上に誰かがいる絵を描いたら、みんなその誰かをてっぺんに置くでしょ?それと同じ。

 

ちょっと先の、そのまま前へ滑ってしまいそうな未来も

今や後ろへ落ちそうな角度になってしまった過去も

実はあんまり信じてない。

唯一心が痛むなら、肉体的に二度と会えない人や生き物が増えていくことくらいだ。かといって別にスピリチュアルな能力も全くない。

 

前世も来世も、わたしにとってはお伽話だ。でもそれは寓話という意味ではなくて、うーん、妄想の世界だ。ふわふわの雲のお布団で寝れるのび太って羨ましいなあ、などと同一。

 

信じてるかどうかとは全く別の箱に入った、わくわくを働かせる子どもの脳みその名残だ。

 

子どもといえば

書き残した文章が公表された、5歳の女の子の虐待死についてのニュースを毎日見ている。

 

ニュースを見ているだけで、電車の中でもパソコンの前でも、子供がいない私でも、気を張っていなければ泣いてしまっているところだ。彼女の可愛らしい笑顔の写真を目にするたび、気管がギュッと細くなるように苦しい。

 

親がどうとか、行政の対応とかをここに書こうとは思ってない。日常で最近ショックだったことを書いているだけだ。批判とか考えを書く方ももちろんいらして、その上で私はそういう意図で書き出したわけじゃなく、今ここには書かない。

 

今朝見かけた幼稚園バスの車内に、衣替えしたばかりだろうか、真っ白い夏服を揃って身につけた子らを見て、ああ彼女はあのくらいの年齢だったのか、とまた胸を掴まれた。

 

 

自分が子供を産むか産まないか産めないか、毎日ヘラヘラしてるので一応まだわかりませんが、正直いうと私は絶対そんなことしない、と言い切れるのかどうかもわかりません。

 

隣のお宅に赤ちゃんが生まれたようで、朝も深夜も関係なくよく泣くお子のようである。毎日聞いていると、他人のお子だけど、ちゃんと人間らしくなってきてるような成長をわずかに感じるのだから不思議なものである。

 

今朝は5時にずっと泣いていて、いつも以上に泣き止まなかった。

 

ちょっといつもの泣き声と違ったようで(寝ぼけてたので、猫かな猫じゃないのかなあって半信半疑だったくらい)おやおやこれは一体どうしたらいいだろうかと思ってしまった。

泣くのも力がいることだろうから、それだけ元気があるという解釈もできるけど、親御さん(とはご挨拶する程度)の精神も勝手に心配となる。

 

大人の怒る声もあやす声も、不思議とほとんど聞こえてこない。うるさいのは我が家的には全く構わないんだけど。むむむむむ。

きょうもお風呂入って寝よう。