社会のなにかに関わってると、この時期は
今が2017か2018かわかんなくなってくる。
今年もクリスマスが無事やってきましたね。
クリスマスいぇーい!という子供時代。
クリスマスに告白しちゃう?!な青春時代。
クリスマスなんて別に関係ないし…って悟り開いちゃった感アピールの二十代。
そして今は、
特別な希望も執着ももはや背負うことなく、
せっかくクリスマスだしワイン飲もう、美味いもん食べよう、ってクリスマス様を逆手に利用する三十代である。
家族に子供がいないので、必ずツリーを飾るとかケーキ食べることもない。
そういやここ数年、玄関のドアにリースを飾ってたけど今年は忘れてたや、って今思い出した。もらったものといえば母やよいから、買いすぎたからとお裾分けされた小玉ねぎ数個だ。あそうだ、スモポの新澤美佳からお花と靴下に入ったお菓子を頂いたぞ。
私は確か、小学校5年生に夢がパチンとはじけた。
12月25日の朝、それが平日であれ土日であれ
毎年枕元にプレゼントが置かれていた。
本当に毎年だったし、サンタさんをいつか見てみたかったけど、当時の私にとっての「夜中」は=この世に存在しないのと同義くらい、未知の世界だった。よく眠る良い子だった。
プレゼントとともに、必ず手紙がついてきた。
A4の白い紙に、蛍光ペンで、定規のようにまっすぐな線を用いた字体で、英語で何か書いてあった。私が読めるように、ローマ字読みだったこともあった。短かったけど、メリークリスマス!ハッピーが訪れますように的内容だったと思う。
毎年少しずつ文や色が違うのだけど、蛍光ペンでまっすぐな字体なのは変わらなかった。
クリスマスプレゼントで一番古く記憶にあるのは、猫のモニーという大きめのぬいぐるみだ。猫のぬいぐるみを欲した記憶は一切ないけど、貰った朝に喜んだことは覚えてる。
証拠に、今でも我が家に置いてある。たまに薄汚いデカい猫のぬいぐるみを友人に見つけられ、ちょっと恥ずかしいけどからかわれることも無い。
小学校4年生では、リカちゃんのハンバーガーショップをねだった。学校の友達に、クリスマスに何を頼んだかを答えたら、いじめっ子の女子にめちゃくちゃにからかわれた。そんな子供くさいものでまだ遊んでるのか?と。
私が欲しいものは、そんなに恥ずかしいものだったのか。
知らなかった。
サンタさんに頼むのがなんだか申し訳ない気になった。でも無事に、サンタさんはそれを届けてくれた。でもでも一緒にリカちゃんで遊んでくれる友達がいないので、一人でハンバーガーショップごっこをして冬休みを過ごした。ちなみに本当はリカちゃんよりジェニー派でした。
正直いうと、それ以外にクリスマスにもらったプレゼントの記憶がない。たぶん、物理的にも残ってない。
これほどに記憶にないと、これから人に贈り物をするのが逆に怖くないね。親にとっちゃ寂しいことだろうな。
1月12日が誕生日なので、誕プレとクリスマスプレゼントの区別もあまりなかったかもしれない。一緒くたにはしないでくれたと思うけど、そうだったかどうだったかすら覚えてない。
そんなあやふやな中、ただ強く記憶にあること。
小学校5年生の冬、母やよいと口喧嘩をした。
おそらく、クリスマスプレゼントにねだったものを考え直せと言われたのだ。品を全く覚えてないが、高価だったのだろう。
よくある話だ。
10歳ながら、うすうす感づいてはいたのだ。
そして、口にしてはいけないことも。
人間は感情がヒートアップすると攻撃的になることを学んだ瞬間でもあった。
私は「お母さんが買ってるんでしょ!だからそういうこと言うんでしょ?!」と母やよいにぶつけた。
するとやよいは、
こっちがびっくりするほど極々あっさりと
「そうよ!」との返事だけ、よこしてきた。
パチン、どころじゃなかったな。
がらがらがっしゃーん!!だ。
(じゃーあの赤服着たお爺さん…誰だよ!?)
複雑な表情を母親に見せながら、それでも私は品をねだることを最後までやめない物欲だけは持っていた。
翌日、教室を見る目が変わった。
この子は知ってるんだろうか。
あの子はまだ知らないんじゃないか。
うちに通ってくれないだけで、本当はサンタさんが来ている家もあるんじゃないか。
誰かに無視されるより、嘲笑されるより、これまで生きてきた10年間で一番裏切られた感じがした。愛する親との、”その件についてはお互い黙認しましょう”と言う見えない契約が破られたからかもしれない。
母やよいは父まさおになんと話したのだろう。
父は母を責めただろうか。それとも、やっと終わったぜー!って喜んだだろうか。
ちょっとは寂しく思ってくれただろうか。
この年のクリスマスから、
蛍光ペンの手紙は二度と来なくなった。
あれから随分経ちますがサンタさん、お元気ですか?
まっすぐ過ぎた字の不気味さがまた、
素晴らしい演出でした。