赤の他人の結婚式とお葬式、
街中で見かけたらどっちのほうが気になる?という話になった。
そのとき話し相手だった彼は、結婚式だと答えた。
なぜなら、人の幸福のほうが、見かけたこっち側もポジティブな気持ちになるから。
私は、葬式だ。
誰かの一生が、どこかで終わった証拠。
悲しい死に目だったのか、納得した最期だったのかは知らない。
会ったこともない。名前もほとんど、正しい読み方だってどんな造形なのか何歳生きたのか何が好物だったのか、つゆとも知らない。
でも誰かが、死んだ。
この世に生きてるどんなに偉いお金持ちも、経験したことがないこと。
私は死にたいと思ったことはない。
だから、死ぬって強制的な何か。ちょっと関わったことあるとしたら誰かとの死別だが、それはやはり今でも異次元の異世界のなにかのようで、父とのそれすら未だ飲み込めていない。
この世で一番不思議だ。
穢れだなんて思えない。
死んでどうでしたか?死ぬって結局なんでしたか?
と尋ねる対象がすぐそこでまた増えたわけだ。
それに葬列もそれぞれだと思うけど、悲しみの方が共感しやすい。
比べて、知らない人の結婚式はどうでもいい。
同じ幸福感でも、ピンチからの成功型事象を目の前にしたら「よかったねえ」と思うだろうけど、
よく知らない人の結婚式は最初っから幸せラインでスタートしてるものなので、こちらの勝手な心配も安堵も不要だし、やけに幸福感が連鎖されない。
別れるかもしれないし。とか思っちゃう。いじわるかしら。
でも、どなたが花嫁の父かはつい探しちゃう。
綺麗だな、って思うくらい。
それで十分じゃない?